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服部ゼミ7期生の歩み

 

服部ゼミ7期生は、指導教官である服部圭郎がサバティカルの時に、ゼミ希望者を募集した。当時、経営学科に在籍された小野教授の助けを借り、スカイプによる日本−ドイツの国際面接を実施して、その選考を企画したのだが、なんと応募者は7名。7名というのは、経済学科の暗黙のルールで最低限、一次募集では取らなくてはいけない数である。なんのためにスカイプでの面接まで、朝の5時に起きてドイツにて面接に待機したか分からなかったが、まあ、募集してきた学生を全員、採用することにした。その中には、明らかに当ゼミに向いていない学生(優秀でないという訳ではない)がいたが、それらも含めて全員、採用せざる終えなかった。それにしても、その前の代は40名近く、応募してきたことを考えると、落ちぶれたものである。何があったのであろうか?

7名という数字に危機意識を抱いたため、急遽三次募集をする。応募者は7名いたが、そのうちの6名を採用する。とはいえ、本当にうちのゼミに入りたければ一次で募集をしてきた訳であるから、皆、ゼミに入っていれば就活に有利という意識程度で応募してきた学生である。とはいえ、二人ほどなかなか見込みがある学生がいた。彼と彼女がどうにかゼミを盛り上げてくれればと藁にもすがる気持ちで期待する。期待した二人のうちの一人をゼミ長にする。ロックが好きな元気な学生であった。また、メンツ的に不安を覚えたために、二年生の時にフィールドスタディに同行した四年生の学生でBゼミの中尾ゼミから二名、服部ゼミに入れさせてもらうよう中尾先生にお願いし、了承してもらう。飛び切りしっかりとした先輩二人を擁して総勢13名で服部ゼミ7期生はスタートする。

街歩きスタート。服部ゼミの3年生の春学期は、週一回の街歩きである。写真は、二子多摩川にある旧砧線の関連物を展示している蕎麦屋さん。なかなかナイスな企画で刺激的な内容であった。卒業生の吉田も参加してもらい、なかなか充実した街歩きとなった。しかし、この写真に登場している学生のほとんどが、途中でゼミを辞めることになる。この当時もある程度は覚悟はしていたが、13名のうち2名というのはなかなか凄まじい数字であると思う。

 

服部ゼミ7期生で最初に辞める学生が出る。服部ゼミは、無断欠席は除籍というルールがあるのだが、それをゼミを辞めるうえで最初に使った学生でもあった。ゼミ長が状況を尋ねると、「お疲れさーんという気分」と言ったそうである。随分といい加減な学生であり、こちらも呆れたが、まあ去る者は追わず。3次募集で採用した学生であった。

服部ゼミの納涼会。納涼会は新年会とともに、服部ゼミの二大飲み会である。7期生がどのようなパフォーマンスをするか、あまり期待もしないでいたら、結構、質が高いパフォーマンスを披露し、また気合いも入っていたので感心する。これまでのゼミ生とは異質ではあるが、それなりにいいものを持っていると見直す。とはいえ、まったくそのようなパフォーマンスをせず、参加しないゼミ生もいる。あくまで、自分が属する集団の論理より、自分の意向を優先させるタイプであり、ちょっと頭を抱える。

 服部ゼミ7期生、二人目の脱ゼミ者が出る。納涼会での幹事をお願いしたのだが、しっかりと仕事をすることができなかったので、敗者復活のチャンスとして夏合宿の幹事の仕事を頼んだら、一泊一万円の温泉旅館を予約した。それを叱責したら辞めてしまった。しかし、今回はしっかりとメイルで辞めることを伝えてきた。こういうことをするかどうかで、その後の関係性が多少は持つ。それにしても、学生は「お金がない」というのを口癖のように言うが、何故、夏合宿に一泊一万円の旅館を予約できるのか。これは、おそらく「お金がない」というのが嘘なのではないか、とたまに思う。

三人目の脱ゼミ者。石垣島のゼミに行く直前でメイルが来た。「石垣島の合宿には体調不良で来られないので、ゼミを辞めさせられても当然です。先生の判断を仰ぎたいです」という内容だったので、本当は何を言いたいのかと返事を出すと、「ゼミを辞めます」と回答してきた。まあ、最初から服部ゼミでやっていく気持ちがそれほどなかったということであろう。3次募集で採用した学生である。

白金祭。白金祭では、ハライコのソーセージを販売する。7期生の中村寧樹が大車輪の活躍で、ハライコとの交渉をしっかりとし、無事、白金祭での販売に結びつける。ただし、一部の女子学生が価格設定などに口出しをするのに、実際はほとんど仕事をしないなどの無責任な対応をすることで、ゼミ生内で亀裂が生じる。ゼミ長の負担は結構、大変なものがあったであろう。

四人目の脱ゼミ者が出る。体育会に入っている学生で忙しいからとの理由であったが、その前の課題図書の発表で私が厳しく指導したからであろう。厳しい指導をされて辞めるというのは、そもそも指導を求めていないことの裏返しであろう。いろいろと難しい。

就活指導。私の会社時代の同期で人事の仕事にも明るい旧友にわざわざ明学に来てもらう。「アルバイトより、大学生としてやるべきことをやることが重要。ゼミを一生懸命やることは、就職でのポイント」との話をされる。また、OBの内野と笹本も後輩のために忙しい時間を練って、後輩のために就活のポイント、会社選びの話などをしてくれる。しかし、その後、就職で内定をもらったすべてのゼミ生が辞めるとは、この時点では知るよしもない。

後輩の就職ガイダンスのために、忙しいスケジュールを縫って講師にきてくれたOBの内野と笹本。しかし、その甲斐あって就職が決まると学生が辞めていくと考えると、ある意味で 大いなる皮肉である。これが、現在の明学生の実態であるとは、正直認めたくないが、現実を直視しなくてはとも思う。ともかく、この結果、次年度から就職指導をするのを止める。

新年会。五反田のライブハウス、ロッキーで新年会を開催する。納涼会での失敗を踏まえ、今回は円滑にイベントをこなすことができた。OBも多く参加し、また、水戸市の街歩きで知り合った水戸市役所の方々も参加するなど、会は盛り上がった。

ハビタット通信の編集作業が始まる。これまでほとんど褒めていない学生が、比較的しっかりとした原稿を書いてきたので褒めたら、その後、時間を経ないで「ゼミを辞めます」と述べてきた。理由を聞くと、どうも卒業後に専門学校に行くために、アルバイトをしなくてはならないので、ゼミをやっている余裕はないとのこと。アルバイトは何かと聞くと、バッティングセンターで時給も800円とか900円とか極めて安いものであった。その回答を聞き、引き留める気持ちは皆無になる。

就職活動で結果が出始める。すると、何も言わずにゼミを辞める学生が増え始めた。女子学生二人、そして男子学生一人である。服部ゼミは、無断欠席は除籍というルールを設けていたのだが、それをゼミを辞める手段として使い始めたのである。これには驚いたが、まあ、こちらとしても引き留めたくなるようなゼミ生ではない。一人の女子学生は、4ヶ月ほど前に、あまりやる気がないので、やる気がないなら辞めてもいいですよ、と伝えたら、涙を流して「先生は誤解している。私は卒論を書きたいのです」と言ってきたので、それは誤解してごめんなさい、と返答したのだが、内定を取るためにゼミにいただけだということが判明した。ちなみに、この女子学生はゼミのブログを削除しろ、と編集係に伝えてきた学生である。最近の学生はなかなか手強い。

江東区の水彩フェスティバルに参加。積極的に参加するゼミ生が少ない中、7期生は全員が参加。ようやく、少しはゼミ的な活動ができつつあるようになったのかとも思う。

OB会。OB会には卒論指導を受けている7期生の4年生3名と、8期生のゼミ長が出席する。7期生の全員がOB会のメンバーになれることを祈りつつ、一人、OBに溶け込めていないゼミ生がいるので心配する。

 

 

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